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丘に日は昇り

 始まりは突然だった。
「祐一、初日の出、見に行こう」
 上のほうから聞こえてくる声によって夢の世界から追い出された祐一は、半分以上眠っている頭で閉じようとする瞼を無理やり開き、何とか視点を合わせる。
 布団の上には真琴が乗っかっていた。やたらと元気一杯の。
「………」
 頭上の真琴を一瞥し、黙ったまま薄暗い部屋の中でぼんやりと光る机の上の時計の針を見る。五時一二分。
「……おやすみ」
 それだけを告げて、暖かい布団の中へともぐりこむ。
「あ、ちょっと、祐一っ!」
「くー」
 真琴が慌てたような声を上げるが、わざとらしい――わざとだから当然だが――寝息を立ててあからさまに無視する。
「祐一〜、起っきろ〜〜!」
 暖かな布団に包まれていると、怒りを含んだ声も、ゆっさゆっさと揺すられる振動も、叩きつけられる衝撃すらも眠りを誘う心地より物となっていく。
(起きたら後でいぢめてやろう……)
 ぼんやりとした意識の中でそんなことを頭の片隅に刻み込みつつ怠惰な楽園に落ちていく祐一。
 が。
「えいっ♪」
 やたらと嬉しそうな真琴の声。それと動じに刺すような冷気が祐一を襲った。
 暖かな夢の国からいきなり極寒の地に放り出され、驚きと共に体を起こそうとするが、何しろ寝起きだ。その上、さらに軽いとはいえ人一人分の重量が乗っている――いわゆるマウントポジション――ので起き上がることすらままならない。
 結果、体半分を布団に潜り込ませたまま、無様に上半身だけを左右に振ることしかできなかった。
「まだ起きないの? しょうがないなー♪」
「ま、待て……」
 制止する声も聞かず、まことは間髪入れずに祐一の上半身に手を伸ばす。
 ぬるっとした冷たい感触。
 思わず悲鳴をあげそうになるが、そうしたら負け――何にかは不明だが――だ、と、喉下まで上がってきた声を何とか飲み込む。
 そして、はーはー、と荒い息をつき、祐一は懐に手を突っ込んで腹部の上にある物体を掴みだし、見る。
 こんにゃく。
「あ、起きた?」
 身を乗り出してこちらの顔を覗き込む真琴。その笑顔が視界に入るなり。
「てい」
 軽い掛け声と共に手にしたこんにゃくを投げつける。
 ぴちゃっと小さな音としぶきを立て、狙いたがわず目標に着弾する。
「祐一、なんてことするのよっ!」
「お前が言うなっ!」
「………っ!」
「………っ!」
 ひとしきり罵りあった後、祐一は体を起こして濡れた箇所を手のひらで拭い、
「ったく……」
 と、小さくぼやく。
 目の前では真琴が、あうーなどといいながら寝巻きの袖で顔を拭っている。
 その姿をしばらく眺めた後。
「……真琴」
 とりあえず呼び掛ける。
「っ! な、なによっ……」
 びくっとした声で、体を引きながらも、反発するように答える。
「私は悪く――私だけが悪いんじゃないからねっ!」
 少しは自覚しているのか、微妙に顔を赤くして言い直す。
「まぁ、悪いのは全面的にお前だが……とりあえずそこをどけ」
「なんで?」
 祐一の膝のあたりに乗っかったまま訊ねる真琴。
「……それはな、重いからだ。非常に。度し難く」
「なんでよ〜!」
 真琴は怒気を含んだ声を上げる。
 実際、祐一の膝はそろそろ限界に近かった。膝の痛覚もだんだん薄れてきている。
 しょうがなく、殴りかかってこようとする真琴の頭を右手で抑えたまま、続ける。
「どいたらさっさと着替えて来い。その格好で行く気か?」
「……え?」
 驚いて、動きを止めて目を見開く真琴。
「あっ……うん」
 と、返事になっていない返事を残して祐一の上から飛び降り、自分の部屋へと駆け出す。
 薄暗い部屋に一人残された祐一は、はぁ……と深いため息を一つついて、のそのそと着替えを始めた。
 やっぱり理不尽だ、と噛み締めながら……


 今、街を見下ろすものみの丘の頂上に立ち、祐一はかつて無い生命の危機に瀕していた。
 膝下まで雪に埋もれた足元からは、絡みつく蛇のように緩慢に下半身を圧迫しながら冷気が這い上がってき、着実に体温を奪っていく。
 時折吹きすさぶ鋭利な烈風に乗って飛んでくる氷結した雪は、陽光を浴びて舞い、綺羅めいているのならば心奪われる美しい光景なのであろうが、露出した顔に容赦なく襲い掛かってくるこの現状意にっては致命となりうる脅威でしかない。
 祐一は天を仰ぐ。夜空は深く澄み、信じられないほどの純度だった。彼との狭間を遮る無粋で無遠慮なものは何も存在せず、無数に座する星々や既にかなり傾いた月の白晄は惜しげもなく地上に降り注ぎ、敷き詰められた雪の表面で淡く反射している。
 ――――綺麗だ。
 確かにそれは認める。だが、祐一の口から漏れたのは全く違う言葉だった。
「今の俺には、全部死兆星に見える…………」
 視線を戻し、コートについた雪を払いながら周囲を見渡す。月明かりのおかげで完全な闇に包まれたわけではないが、相当に暗い。数メートルも離れたら、輪郭がおぼろげにわかる、といった程度の視界しか得られない。雪を払った手で自分の二の腕を抱き、擦りながら頭を巡らせようとする。
 と、コートの背中をくいっくいっと引っ張られた。
 振り返ると、そこには泣きそうな顔をした真琴が、祐一と同じようなポーズをして立っていた。噛み合わない歯の根をガチガチと鳴らして訴えてくる。
「あ、あうぅ……寒いよ、祐一……」
「………俺が寒くないとでも思うか」
 言いながら祐一はその場で小さく足踏みをする。クチャっと、湿った靴下が嫌な感触と共に音を立てた。足先の感覚は既に無くなりかけている。厚手のズボンもだいぶ雪の浸食が激しい。
 思いつきで行動するとこういう目に遭うのか、と、あまりにも遅すぎる後悔をする。
「に、にくまん……は?」
 ぶるぶるっと犬のように大きく体を振って雪を飛ばし、真琴は上目遣いで縋ってきた。切実な願いを込めた言葉と共に吐き出された白い吐息が夜気に拡散していく。
 確かに、この丘に来る途中にコンビニによって店の肉まんを買い占めてきた。が。
「三〇分前にお前が食ったのが最後の一個だ」
 祐一は悲しい現実を告げる。
「あうぅ〜……パトラッシュ、もう疲れたよ……」
「……そのネタは下手したらシャレにならないからやめとけ」
「眠い……眠いよ………パトラッシュ………」
「命懸けでボケるなよ……」
 真琴の芸人ぶりに感心しつつも、祐一はそろそろ真剣にこの状況を危惧しだした。
 腕時計で時刻を確認しようとコートの袖を必要最小限度に捲ると、闇の中にデジタル時計の数字が小さく浮かび上がる。六治三三分。もうそろそろ朝日が昇ってもいいころだ。しかし、いまだに地平に兆候は無い。
 突然、切り裂くように突風が雪原を疾って行く。その風を真正面から受けて、祐一は反射的に目を閉じ片手で顔を庇う。
 傍らではきゃっ、と小さな悲鳴が上がる。向くと、風に吹き上げられた真琴の髪が、風が通り過ぎた後の、静かな気流に乗って、ゆっくりと元に戻っていくところだった。真琴は乱れた髪を手で撫で付けながら、あうぅ〜と風に向かって小さく悪態をつき、そしてくしゅんと小さくくしゃみをする。
「……真琴」
 声を掛け、返事も待たずに腕を掴みぐっと引き寄せる。
 予想外に大した抵抗もなく、そのまま真琴の小さな体は、ぽすっと祐一の腕の中に収まった。抵抗する体力も尽きているのだろう、と思う一方で、いつもこんなに素直だったらな、と心の中で苦笑する。
 かじかむ手で、何度も失敗しながら苦心してコートのボタンを外す。
 その隙間に一瞬冷たい空気が入り込み、思わず鳥肌が立ち背筋が伸びる。が、無理やりに無視してコートの上から小さな両肩のあたりを捕まえてそっと半回転させる。ちょうど、背中を抱く形だ。
 その状態で、真琴の顔が出るあたり――ちょうど祐一の胸元――までボタンを留めていく。
「ちょっとはマシになっただろ?」
 耳元で囁いて、祐一は真琴を抱きしめる。

 今度は、長く、強く………

 目にうつる世界でただ一つの、この腕の中の温かさだけが、生きていくために必要なものに思えた。彩の無い大地、停滞し伝播を止めた冷然とした大気を、今、ここに確かにある、暖かな体温が、伝わる鼓動が打ち砕き革命していく。

 ここが、世界が生まれた場所。
 ここが、世界が帰結する場所。

 浮かんできた、そんな他愛もない幻想も今なら笑って素直に受け止められる。祐一はそんな小さな奇跡の中にいた。


 一瞬か、数分か、数十分か。
 曖昧になった時間間隔ではもはや判別できない、確実で不明瞭な時間が流れたが、それを気にすることも無く、ずっと二人は寄り添いあっていた。
 だから、その瞬間がいつ訪れたのか、祐一には――おそらく、真琴にも――全くわからなかったが――
 それは、何の前触れも警告も予兆もなしに始まっていた。
 地平線、空と陸との境目が開き、その隙間から赫い光が毀れてくる。それは、途方も無いくらい紅く、朱く、灼い。ぽっかりと開いた真赤な穴から流れ出した別の世界がこの世界に混濁していき、そして新しいなにかが生誕する。そう思わずにいられないほどの熱量の奔流だった。
 この丘から望むこの世の淵はすでに焔で満たされ、溢れる曙光が暗い空に吸い込まれていく。その稜線では薄紫、群青、藍と彩が重なりせめぎあっている。
 やがて赤は色褪せたが、逆に輝きを強め閃光となった。星々の深遠な煌きを掻き消し地に影を生み出す。雪原に一つとなったふたりの影が長く伸び、落ちる。祐一はそのまぶしさに目を細めた。吹く風はいまだ冷気を帯びていたが、心なしか和らいだように感じる。
 祐一は魅入られていたようにその光景から目が離せなかった。激しさも怖さも無かったが、ただただ圧倒される。しかし、身体が全て融けていくような感覚が不思議と心地よかった。
 太陽が地平に接する面は次第に少なくなっていき、点になり、ついには切り離される。にじんだ輪郭の火の玉は緩々と昇り、全てのものに隔てなく暁光を投げかけていく。足元では、大地に敷かれた純白の絨毯の上で微かに融けた雪の雫が射す光を乱反射させ、目に刺激的な眩惑を生じさせていた。
しばらく放心していた祐一は、ふと気付き腕の中の真琴を見下ろす。見ると、いつの間にか祐一にしっかりともたれかかり夢でも見ているのか、世にも幸せそうな寝顔で眠っていた。茶色がかった髪を、その上に飛散した雪の欠片が光を浴びてきらきらと装飾している。陽光を受けて、肌は雪に負けないくらい白く透き通っていた。小さくて穏やかな寝息も静かなこの朝ではしっかりと耳に届く。
もう少しこうしていよう。祐一はそう決めた。
丘の上から望んだ街は白く雪に染まっている。陽射しに融かされるように、街はゆっくりと生活を始めだす。そう、そこに戻る前に、もう少しだけ……

風はここから世界をわたる。
涙はここで乾く。
夢はここで生まれる。
光はここで弾ける。
奇跡はここで始まる。

ここでなら、幼かったころの想を抱けるから。

FIN


またまた真琴話・・・・・・と思ったら、蔵にあるのはまだ2個なんですね。そもそも作者が自分の書いたものを把握していないんですが。
(量ではなく記憶能力の問題)
さて。この話は、製作裏話には事欠きません。なぜなら、この話、前半と後半の間に1年以上経過しているからですW
もともと、年賀状SSとして書き始めたんですが、挫折→お蔵入り(正しい日本語用法で)となっていました。
それを発掘して後半を書いたんですが・・・・・・やっぱり一年の年月は長いですね。後半を書くために読み返した時、やたら恥ずかしかったです
・・・・・・・・・ちなみに、真琴+ものみの丘話のストックはまだあるんですが。そこまで偏重するのもどうかなぁとか悩んでたりします。
今後、何もなかったような顔で真琴SSがでたら、ネタがなかったということで、暖かく黙殺してください(何

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